女性の「共感力」が世界を変える 前編
エイミー・ブレア/Amy Blair
バティックブランド BATIK BOUTIQUE創業者・CEO
アメリカ、テキサス州出身。マレーシア在住11年。
インタビュアー
出久根 千香(でくね ちか)/Chika Dekune
THE KL メディアディレクター/THE KL Media Director
対談シリーズ「WOMAN & THE KL」では、世界で活躍する女性との対談を通じ「グローバルに活躍する女性の考え方」を探っていく。
第2回目は、マレーシアの働く女性の環境を少しでも改善したいとバティックブランドを立ち上げたアメリカ出身のエイミーさんに、フェアトレードという収益化が難しいビジネスをいかに軌道に乗せたかを伺った。
▼エイミーさんが経営する「Batik Boutique」についての記事はこちらから
Batik Boutique(バティックブティック)
同じ母親なのに、まったく異なる境遇にある女性を助けたい
出久根:今日は子連れでインタビューに来ましたが、スタッフの方に温かく迎えていただきました。
エイミー:大丈夫ですよ。私にも3人子どもがいますから、子育てしながら働く女性の大変さはよく分かります。
出久根:お子さん、3人いらっしゃるんですか。私と一緒ですね!出産はマレーシアでされましたか?
エイミー:マレーシアに住んで11年になり、3人ともマレーシアで出産しました。
出久根:そうなんですね。日本は、子育てしながら女性が働くのは、まだまだ色々な問題があります。
今回は、日本の働く女性が何らかのヒントを得られるようなお話をうかがえればと思っています。
出久根:まずは、このBatick Boutiqueを立ち上げた経緯について教えてください。
ショップに、マレーシアの伝統工芸のバティックを使ったバッグやドレスなど、すてきな商品がたくさんありましたが、「フェアトレード」をコンセプトに起業されたんですよね?
エイミー:そうです。私はもともとツーリズム関連の仕事をしていたのですが、マレーシアに来た当初はペナンで働いていました。
マレーシアは伝統的な素材を使った手作りギフトやお土産というのが少なくて、伝統工芸の職人や伝統文化というものをもっとアピールしていく必要があると感じていて、そういう仕事に関わっていました。
ペナンで結婚して長男を出産した後、クアラルンプールの郊外に引っ越したのですが、そこで近所に住むマレー系の女性と知り合いになりました。
「PPRハウス」と呼ばれる低所得者のために政府が作った団地が各地にあるのですが、彼女はそこに家族と住んでいました。家計は苦しいけど、スキルがあるわけではなく、子どもの面倒をみないといけないし、仕事に通う交通手段もなくて、働いて家計を助けたいけど働けないという状況でした。そのPPRハウスには同じような社会から取り残されて貧困に苦しんでいる女性がたくさんいるのです。
出久根:クアラルンプールにはバリバリ働いている女性も多いですが、一方でそういう境遇の女性も多いということですね。
エイミー:都心部と田舎では考え方がまったく違いますが、同じクアラルンプールでも、教育レベルによって考え方はかなり違うと思います。
私が一緒に働いている女性たちは、教育レベルが高いわけではなく、企業で働くつもりはありません。でも、収入を得られるのであれば働きたいという意思はあります。
当時、私は1歳半の子どもの母親で、彼女達も同じ母親。5分しか離れていない場所に住んでいるけど、境遇はまったく違う。これはフェアではないと思いました。
人間として、母親として、彼女たちのために何もしないでいることはできませんでした。
ミシンを持っているならギフトを作って売ろう!
出久根:バティックで作ったお土産で起業したのはなぜですか?
エイミー:いろいろ聞いてみると、彼女がミシンを持っていることがわかりました。
ほかの女性たちもミシンを持っているというので、それなら、私のキャリアを活かして、ミシンでマレーシアのお土産を作りましょうと提案しました。
私が以前から取り組んでいたことですが、マレーシアの伝統工芸の職人達やデザイナーを正当に評価し、彼らがきちんと対価を受け取れるフェアトレードの仕組みを作りたいという想いもありました。
出久根:ミシンを持っているのに、使っていない人が多かったのはなぜでしょう?
エイミー:おばあちゃんから受け継いだミシンだったり、政府に支給されたミシンを持っている方もいました。でも、使い方が分からず、ほとんど使っていないケースが多いようでした。
Batik Boutiqueでは、基本的な使い方から、男性用のシャツが作れる程度までの技術を教えています。
出久根:「お土産」のコンセプトはとても良いアイディアですが、やはり海外での起業は大変ではなかったですか?
エイミー:実は、背中を押してくれたのは夫なんです。
「彼女たちの力になりたいなら、一時的な支援ではだめ。長期にわたって彼女たちが収入を得られるようなビジネスを立ち上げたらどうか?」と言ってくれたんです。
出久根:すてきな旦那様ですね。子育て中だと、誰かの協力がなければ大変ですし、身近に応援してくれる人がいるのはすばらしいことですね。
エイミー:ええ、夫は本当にすばらしい人だと思います。
マレー語、バティック、縫製、デザイン……すべてイチから学んだ
出久根:軌道に乗せるまでは大変でしたよね? バティックのこと、裁縫のことなどどこから知識や技術を得たのですか?
エイミー:まったく知らなかったので、全部イチから勉強しました。
まずは、知り合いになったマレー人の女性に毎日会って、マレー語を勉強しました。
そして、バティックの生産地として有名なマレー半島東海岸側のトレンガヌ州を訪ねました。夫も一緒に来てくれて、息子を抱っこしてね。
トレンガヌの市場でバティックを見つけたら、どこで誰が作っているのか聞いて、工房を訪ねるんです。
行ってみたら、田んぼの真ん中にポツンと家があって、そのドアを開けたら、上半身裸で腰にサロンを巻いた男性がいたり……。
出久根:それがバティックの工房なんですか?
エイミー:そうです。どこも家族経営で小さな工房ばかり。
出久根:そうやって一つ一つご自身で学んでいったんですね。
エイミー:当時は、バティックといってもいろんな種類があることすら知りませんでした。
模様を手書きしたもの、スタンプ式のもの、工場でバティックの柄をプリントして大量生産しているものの区別もつきませんでした。
模様を手描きするバティック職人
あと、マレーシアとインドネシアではバティックの柄のデザインが違うことも、この仕事を始めてから知りました。
スタンプで柄をつけていく。スタンプは重いため、男性が作業を行うことが多い。
学んだことは本当にいろいろあって、裁縫やデザインはもちろん、貧困を生み出す社会システムなどについても学びました。
何かを学ぶことって、学ぶ対象に尊敬の念を持つことだと思います。
あるコミュニティと一緒に仕事をするのなら、表面的なことだけでなく、その中に入っていって、そのコミュニティに属する人達が何を必要としているのか把握しないと。
彼女たちは毎日8時間働きたいわけではないかもしれないし、家で内職する方がいいのかもいしれません。私の価値観を押し付ける訳にはいかないんです。
保育施設完備の工場で無償で技術を教えた
出久根:貧困の状態にある女性達に、どんな機会を提供しているんですか?
エイミー:クアラルンプールの郊外に縫製工場を作り、年間30人の女性に無償で縫製技術を教えています。子持ちの方がほとんどなので、保育施設も併設しています。
クアラルンプールだけでなく、東海岸にインストラクターがしばらく滞在して、現地の女性達に無償で技術を教えるプログラムも実施しています。
今年で3年になるので、約100人の女性に技術を教えたことになりますね。
出久根:技術を身につけた女性を雇う仕組みですか?
エイミー:一定のレベルに達したら、希望した方だけその縫製工場でフルタイムで働いてもらっています。現在、8名のフルタイムスタッフが縫製工場で働いています。
多くの方がフルタイムの仕事ではなく、家での内職を選ぶのですが、マレーシアではハリラヤ(イスラム教にとってのお正月)用におそろいの服を新調する家族も多いですから、需要は結構あるようです。
出久根:フルタイムの方が収入が安定していると思うのですが、内職を選ぶ方が多いんですね。意外です。
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後半に続く。(THE KL)
《WOMAN & THE KL「女性の「共感力」が世界を変える 後編」記事はコチラ 》
■エイミー・ブレアさんプロフィール■
バティックブランド BATIK BOUTIQUE創業者・CEO。アメリカ、テキサス州出身。マレーシア在住11年。