クアラルンプール市内、レイクガーデンの南端にひっそりとたたずむマレーシア国立博物館。

ここではマレーシアの成り立ちから現在に至るまでの歴史と文化について、体験をしながら学ぶことができます。

 

独特なミナンカバウ様式の屋根に圧倒されるその風情にふさわしく、展示内容もこだわっており、マレー半島の古代史から現在までを扱っています。

国立博物館はA、B、C、Dホールから構成されています。
Aホールは、先史時代、Bホールは、タイ、カンボジア、中国、中東の影響を受けたマレー王国時代、Cホールは、ヨーロッパの列強国に植民地化された時代、Dホールは、第二次大戦から現代までをクロースアップしています。

 

また、マレーシアについて勉強し研究をしている日本人ボランティアガイドにお話を伺うこともでき、ディープなマレーシアを知りたい人には必見の博物館です。  

 

 

 

 

 

先史時代

地球誕生から現在の地形が形成する過程をまとめたビデオが放映され、地層学、地理学的にマレーシア半島をとらえることから始まります。

 

20,000年前の氷河期には、インドシナ半島、マレーシア半島、ボルネオ島、インドネシアの島々やフィリピンの島々が大陸続きであった為、北方から人類が南下して移動していくルート上に居住跡が発見されています。

唯一の旧石器時代の遺跡と知られているマレーシア半島の Bukit Jawa遺跡とコタ・タンパンおよび、ボルネオ島(サラワ州)Niah洞窟から、道具と思われる石器が見つかっています。

10,000年前、氷河期が終わりに近づき海面上昇が起こったことにより、生き延びた人類は、狩猟・採集を続けながら川沿いの洞窟に居住していました。

 

 

 

 

ビーズのような出土品もありました。

 

 

 

マレー王国時代 都市国家

モンスーンを利用した航海技術が発達したことにより、マレー半島では、東は、中東、アフリカ、インド、西は中国、インドネシアからの人・物が行き交い、港は交易で栄えました。

紀元1世紀ごろにはマレー系の勢力が強くなり、3世紀には、マレー半島北部のクダに本拠を置くランカスカなど、半島の東側に本拠を置く多数のマレー王国が興りました。

 

 

 

 

 

ヒンドゥー教・仏教の影響と海上交易国家誕生

4世紀後半から5世紀、マレー半島の人々はマレー住人の言語や文化に大きな影響を持っていたヒンドゥー教と仏教のインド宗教を採用しました。サンスクリット語も言語に外来語として取り入れられました。

インドとマレー王国との間で、交易が盛んであったことを示唆する物も展示されています。

インドの商人がマレー半島への航海の後、無事に到着した感謝の表現として捧げられていた仏陀グプタのレプリカです。スブランプライSeberang Peraiで発見され、インドのカルカッタの国立博物館で保管されています。

 

6世紀初め、中国の文献によると、大乗仏教が盛んに行われていた赤土国という王国が存在したといわれています。また、ボルネオ北西部の王族も中国へ朝貢を開始したともいわれています。

 

7世紀から15世紀までスマトラ島を中心に海上交易国家シュリビジャヤ王国が、マラッカ海峡を統治し、東西貿易で栄えていたという記録が残っています。海のシルクロードが形成されたのもこの時期です。

 

 

香辛料も東西交易には重要な商品でした。

 

 

 

イスラム教伝来と布教

香辛料の貿易で栄えたマラッカ王国は、14世紀末から15世紀初頭におこり、半ばには最盛期を迎えました。

特に5代目国王ムザファール・シャーの御世にイスラム教を国家として取り入れています。これにより、イスラム教商人の出入りが多くなりました。

 

▼ISLAMIC ARTS MUSEUM MALAYSIA(イスラム美術館)についてはこちら
https://www.the-kl.com/contents/474/

 

 

 

 

海のシルクロードの拠点であった為、悪天候や海賊による奪略により、商品を積んだあまたの船籍が海の底に沈んでいるといわれています。

 

 

沈没した船籍から発掘された陶磁器。

 

 

細工が美しい調度品にうっとりと見とれてしまいます。

 

 

築き上げた栄華を侵略や奪略から守るためか、武器や鎧がたくさん残っています。

 

 

 

植民地支配

16世紀からおよそ100年間、マラッカはポルトガルによって支配され、キリスト教やポルトガル文化の影響を受けました。

1641年には、オランダがマラッカを占領し、錫の利権や香辛料などの貿易を独占的に扱いました。

1819年には、イギリスはシンガポールを獲得し、その後もマレー半島に対する支配を強め、1824年の英蘭条約締結後、オランダが撤退したマレー半島はイギリスの支配になりました。

 

20世紀には、第1次世界大戦の勃発や、自動車産業の発展により、マレー半島の重要性が高まり、ゴムや錫の輸出が、始まります。

この時期、世界的な天然資源の需要の拡大に伴い、大量の中国人が移住し、また、イギリスは多くのインド人をマレー半島へ移住させたため、マレー半島では人種混合が進み、現在の多民族国家を形成する始まりとなりました。

 

 

 

 

日本軍は、太平洋戦争が始まった1941年から約3年間マレー半島を侵略し、占領しました。

戦後、イギリスは、マレー半島の9つの首長国、マラッカや、ペナンをマラヤ連邦として保護国にしました。

 

 

 

 

戦後の力のバランスが崩れたことにより、日本占領下では日本軍と戦い続けた共産ゲリラが、イギリス支配に抵抗しイギリスと戦闘を始めました。

 

 

 

 

1957年、マラヤ連邦はイギリス連邦の一国として独立を達成します。

初代首相はアブドゥール・ラーマンでした。

 

 

 

 

その後、シンガポールを加えて、マレーシアが建国されました。

しかし、マレー人優遇政策がとられたマレーシア内でマレー人と中国系との対立がおこり、1965年にはシンガポールがマレーシアから脱退、分離独立しました。

 

 

 

 

マハティールが1981年に首相就任し、日本や他のアジア諸国の成功に目を向けようとする"ルック・イースト政策"を提唱して、今日の経済発展の基礎を築きました。

 

 

 

 

 

【店舗名 】 National Musium(ナショナル・ミュージアム・オブ・マレーシア)
【住所】 Jabatan Muzium Malaysia, Jalan Damansara, Tasik Perdana, 50566,
Wilayah Persekutuan Kuala Lumpur,Malaysia
【電話番号】 6 03 2267 1111
【営業時間】 AM9:00 - PM6:00
【定休日】 なし ( HARI RAYAの祝日は休館。2017年は6月25日- 27日, 9月1日休館予定 )
【予算】 大人:RM 5 / 子ども( 6-12歳 ):RM 2 / 子ども( 6歳以下 ):無料
【喫煙】 -
【WEBサイト】 www.muziumnegara.gov.my