ART PRINTING WORKS SDN BHD / CEO
Ee Soon Wei (イー・スンウェイ)さん
オーストラリアで大学を卒業後、家業である印刷会社が保有するマラッカの印刷所「The Royal Press」の保全と、クアラルンプールの印刷工場「APW」の経営立て直しに取り組む。
クアラルンプールで、2014年頃から若者を中心に話題となり、インスタグラムなどソーシャルメディアで写真や情報が拡散されて若者が集まる場所、それが、APW(エーピーダブリュー)だ。
高級住宅街のバンサーといっても高級コンドミニアムが立ち並ぶエリアから少し離れているAPWは、周りに店もほとんどなく、にぎやかな場所ではない。
そんな「隠れ家的」なAPWに、朝はブレックファースト、昼間はコーヒー、夜はクラフトビールを求めて若者が集まる。そして、週末にイベントが開催されれば、感度がよさそうなおしゃれな若者が集う。
今回インタビューしたのは、この「なぜか人が集う場所」を作ったイー・スンウェイ(Ee Soon Wei)氏だ。
中国から渡ってきた祖父が立ち上げた印刷所には歴史が詰まっていた
THE KL:APWは、以前はクアラルプールでも大手の印刷会社だったと聞きました。まずは、APWの歴史について教えてください。
スンウェイ:APWは私の祖父が始めた印刷会社です。
祖父は、中国の福州の厦門(アモイ)からマレーシアに渡ってきました。1938年、マラッカで印刷所「The Royal Press(ロイヤルプレス)」を立ち上げ、1965年、今、APWがあるバンサーに印刷所を立ち上げました。
THE KL:先ほどAPWの印刷工場を見学しましたが、昔ながらの活字やさまざまな会社のロゴや昔の印刷機など貴重なものもたくさんありますね。
スンウェイ:そうなんです。以前はマレーシアの大手企業であるメイバンクやサイムダービーなどを顧客に持ち、経営も順調だったのですが、受注が減って苦しくなってきました。
THE KL:世界中の印刷会社が抱える問題ですね。
スンウェイ:そうですね。大学卒業後、別の仕事をしていたのですが、2003年頃、家業の状況をみて、自分に何かできないかと考えました。
そして、家族がマラッカにも印刷所「The Royal Press」を保有しているのですが、これを博物館にするプロジェクトに着手しました。
マラッカの印刷所は建物自体も歴史あるものですし、英語、中国語、マレー語、インドのタミル語の4つの言語の活字が15万個もあったりして、私の家族、マラッカ、そしてマレーシアの歴史として残したいと思ったからです。
The story lives on: Ee Soon Wei at TEDxKL 2013
このプロジェクトは、ディスカバリーチャンネルに取材されてドキュメンタリー番組になり、注目を集めました。
昔からThe Royal Pressの顧客だったサイムダービー(マレーシアの大企業の一つ)から300万リンギットの修復資金もいただいたのですが、建物の損傷がひどく、予想外に長い時間がかかっていて、オープンするのは2019年の予定です。
▼Royal Pressの情報はこちらから
https://theroyalpress.my/
古くて寂れた場所だからこそチャレンジしてみようと思った
THE KL:ディスカバリーチャンネルやTed×KL、新聞などいろんなメディアで取り上げられているのを拝見しました。APWのプロジェクトに着手したのはその後なんですね。
スンウェイ:APWの今後について叔父や両親などとも相談したのですが、印刷工場は廃業したくないし、長年勤めてくれた従業員を辞めさせるのもいやだという。従業員のなかには、私を子どもの頃からかわいがってくれた人もいますからね。
そこで、印刷工場は規模を小さくして残しつつ、空いたスペースで何か新しいことがやれるかもしれないと思い、家族にやらせて欲しいとお願いしました。
THE KL:「何か新しいこと」と言うのは簡単ですが、ショッピングモールや駅が近くにあるわけでもない隠れ家的なこの場所で「何か」を始めるのは大変だったのではないでしょうか?
スンウェイ:バンサーというと、高級なショッピングモールがある高級住宅街というイメージがあると思うけど、私が小さい頃は、ジャングルやゴムのプランテーションがあり、この辺の平地には工場もたくさんあって、生活はもっとシンプルでした。
ここ20年で開発が進んでまったく雰囲気が変わったけど、APWがあるこの地域は昔のバンサーがその空気をとどめている最後の場所だと言えるかもしれない。古くて、スロー。でもチャレンジだと思ったのです。
THE KL:そうなんですよね。バンサーというと、バンサービレッジとか、バンサーショッピングセンターといった高級モールに高級コンドミニアムというイメージですが、APWがあるこの辺はまったく違います。高い建物はほとんどないし、緑も多くて空気の流れも緩やか。それがAPWの魅力でもあるんでしょうね。
スンウェイ:周りの環境を台無しにするような開発は嫌でした。
そこで、ヒントを得ようとアジアの国々を見て回りました。バンコクや台湾、香港、シンガポール、日本にも行きました。大学でも少し日本語を勉強しましたが、日本は好きな国の一つ。今年の春は、桜を見に行ったんですよ。
印刷工場「Art Printing Works」から、何かが起こる場所「A Place Where」へ
スンウェイ:私はメルボルンの大学で学んだのですが、APWのコンセプトは大学のキャンパスなんです。歩いていたらアイデアを思いつくようなクリエイティブな場所。
印刷所「Art Printing Works」だった場所に「A Place Where」、つまり、人が集まって、何かが起こる場所を作りたいと思った。日本の街でいうと下北沢みたいな感じです。
週末のイベントにはフードトラックや屋台が出店し、若者でにぎわう
THE KL:なるほど。確かに下北沢は、時間の流れも緩やかで下町っぽいところもありつつ、若者に人気なおしゃれな店もあり、劇場も多くていろんなことが起こるわくわく感がありますね。でも、場所を作ってもなかなか人は集まらないのではないでしょうか。
APWにこんなに人が集まるようになるためにどんな仕掛けをしたんですか?
スンウェイ:まずはテナントを集めようとしたのですが、当時はショッピングモール以外の場所に出店しようとするブランドは少なくて苦労しました。ましてや工場の中なんて前代未聞でしたからね。
結局、第一号店はシンガポールのカフェで、コーヒー豆やコーヒーマシンなどの販売もしているPapaPalhetaという会社のカフェ「PULP(パルプ)」でした。
THE KL:当時、PULPが話題になったのをよく覚えています。宣伝はしたのですか?
スンウェイ:宣伝にかける予算はないし、インフルエンサーを使ったわけでもありません。
ラッキーだったのは、当時はちょっとしたスペシャリティコーヒーのムーブメントが起こっていて、ショップロットなどにおしゃれなカフェがどんどんオープンしていたんです。
PULPはその先駆け的な存在だったのと、コーヒーマシンや豆なども販売していたので、カフェを開きたい人などの間に口コミで情報が広がっていったんです。
あとは、当時、若者達がショッピングモールに飽き始めていて、APWのような場所を探していた時期でもあったのだと思います。
THE KL:その後オープンしたレストランも話題になりましたね。
(左)初めてのテナントはカフェの「PULP」だった。(右)二つ目のテナント「Breakfast Thieves」
スンウェイ:Breakfast Thieves(ブレックファーストシーブス)もマレーシアのブランドではなく、メルボルンのカフェです。
APWが有名になってからはマレーシアのブランドも出店したいと問い合わせてくるようになりましたが、以前は本当にテナントが集まらなかったですね。
ターゲットは情報拡散力がある18〜35歳
スンウェイ:50年前、印刷物は情報を伝える手段として非常に優れていました。でも、今は違う。情報拡散の手段としてパワフルなのはSNSです。そして、だれがSNSを使っているかというと、18歳から35歳の若者です。
だから、APWのターゲットは18歳から35歳の若者。
SNSで情報を発信する際は、彼らが使うのと同じ「言葉」を慎重に選び、ターゲットがぶれないようにしています。
Instagramに「#APWBangsar」のハッシュタグを付けてアップされた写真。この階段は有名スポットになった。
目指すのは、若者が何度も足を運び、消費するような場所。
1日24時間という限られた時間のうち数時間をAPWで使ってもらおうと考えたとき、例えば、朝、ヨガをしてコーヒーを飲み、仕事をする。仕事の後、運動をして軽くお酒を飲む。週末にはイベントもある。
現在、APWには、カフェ(PULP)、カフェレストラン(Breakfast Thieves)、ビアバー(BIRU SAN)、レストラン(Kaiju、Proof)など飲食店のほか、コワーキングスペース(Uppercase)や、歌手でもあるMcBeが営む理髪店(52 Barbers)などもあります。
また週末には、コワーキングスペースやイベントスペースでヨガやZumbaのイベントも定期的に開催しています。
実は、KaijuやBIRU SANなど一部のブランドはAPWが作ったものです。
独自ブランドを育てて、将来的には海外に店舗を作りたいという計画もあります。
▼52 Barbersの記事はこちらから。
52 Barbers – バーバー × シンガーが自分のスタイル
https://www.the-kl.com/contents/4891/
(左)コワーキングスペース「Uppercase(アッパーケース)」 (右)日本のクラフトビールなどもあるビアバー「BIRU SAN(ビールサン)」
THE KL:トレンドをキャッチする能力が鋭いですよね。
スンウェイ:そうだといいのですが。いつも、周りをみて何かを感じ取ろうとはしています。
最近も少し流れが変わってきたなと感じています。
例えば、以前はソーシャルメディアで見た写真がいいなと思ったら、そこに行ってみて、体験してみる人が多かった。
でも、今はもっとビジュアルやスローガン的なものが重視されるようになってきて、Snappyで刹那的。ぱっと見て、好きなら好き、嫌いなら嫌いという感じに変わってきたように思います。
初めはメルセデスベンツやBMWに無料で会場を貸した
THE KL:週末のイベントもずいぶん盛況のようですね。
スンウェイ:家族には無謀だと言われましたが、工場の一部をイベントスペースにリフォームしました。そして、まずはメルセデスベンツとかBMW、ネスレのような誰でも知っているようなビッグブランドの企業に無料でイベントスペースを提供しました。
会場を見栄えがするように飾り、写真をたくさん撮ってポートフォリオをつくり、またほかの企業に売り込んでいったのです。
イベントを開催したいという問い合わせが来るようになってからは、少しずつ価格を上げていきました。
床のラインなどはそのまま残しつつ、電灯などを設置してリフォームした倉庫はイベント会場として人気で、ファッションショーなども開催されている。
もちろん、どんなイベントでもいいわけではなく、例えばドリアンのイベントなんかはNG。若者というターゲット層が好みそうなイベントを選んでいます。
THE KL:いろんな団体とコラボレーションをしていますが、ネットワークはどうやって広げていますか?
スンウェイ:一人でなんでもできるわけではないので、いろんなところに協力を求めました。
大切なのは、コラボしたい団体へのアプローチの方法が適切であること、そして、いつもアドバンテージを取るのではなく、時には助ける側に回ることも必要。人間関係と同じで、EQが大切だと思います。
1日1%いつもと違うことをすれば、3カ月で90%新しいことができる
THE KL:APWを軌道に乗せるのにどれくらいかかりましたか?
スンウェイ:初めの3年はかなりタフでしたね。一番大変だったのは、資金繰り、そして家族です。父親や叔父の世代には、私がやろうとしていることを説明しても理解してもらうのはなかなか難しい。なので、最後は「事後報告」という手段をとりました。
最近はAPWがうまくいっていることもあって、納得してくれているし、サポートもしてくれます。上の世代にはきちんと尊敬の念を示すことが大切だと思います。
APWで定期的に開催されるイベント「riuh(リヨ)」には多くの若者が集う。食べ物や物販の屋台が並び、バンドやパフォーマンスも楽しめる。
THE KL:大変な挑戦だったと思うのですが、辞めたいと思ったことはないですか? モチベーションを保つ秘訣があれば教えてください。
スンウェイ:性格的に1回始めたら途中でやめたくないし、途中で辞めるような人間になりたくないというのがあります。
APW を始めた時はまだ若かったし、注目を浴びたいという欲求もあったけど、それより今は、広い視野をもって、少しでも何かを学びつつ前進したいと思います。
あと、諦めたくなったときは、ちょっと休むことも必要なんだと学びました。
誰かが言っていたことですが、毎日1%でいいからいつもと違うことをする。
そして、それを30日続けると、30%これまでと違うことをしていることになる。30%前進ですね。
そうやって3ヶ月続けると、もうほぼ90%も何かいつもと違うことができていることになる。小さいことでも毎日コツコツ取り組むことが大切なんですね。
マレーシア人デザイナーのブランド「Khoon Hooi」も店をAPWの一画に店を構える。
THE KL:最後に、今後の目標を教えてください。
スンウェイ:APWのコンセプトは成功はしたけど、長く続けるために、常に改善したり新しいことをやっていかなければならないと思います。あと、「魂」みたいな物が込められていないとダメですよね。
あとは、すでに進めているプロジェクトなのですが、タイやカンボジアにも「人が集まる場所」を作りたい。
必ずしもAPWのような隠れ家的な場所でなくてもいいので、適切な場所を選び、その場所に合った飲食店を入れる。アジアでは「おいしい食べ物」という要素は大切ですね。その土地に合ったやり方で「場所」を作れば、人は集まると思います。
KaijuやBIRU SANのように自分でレストランのブランドを育ててもいいし、外国の外食ブランドと組むのもいいと思います。
実は、Lot10のJ's Gate Dining(※)に出店したしゃぶしゃぶレストラン「モーモーパラダイス」にも関わっているのですが、今後、海外ブランドのフランチャイズを展開して、APWと組み合わせたりすることにも挑戦してみたいと考えています。
※クアラルンプールの繁華街、ブキッビンタンにあるショッピングモールLot10にある日本がコンセプトのフードコート。「やよい軒」や「信濃路」なども出店している。(詳しくはこちら)
******
「箱(ハード)」を作ることは、資金と時間をかければ誰にできる。
だが、その箱を「人が集まる場所」にするためにはしっかりした「コンセプト」と「コンテンツ」がなければ難しく、それは誰にでもできることではない。
APWの成功は、自身が生まれ育ったバンサーの印刷工場に愛着を持ち、粘り強さや感度の高さ、そしてセンスをもつスンウェイ氏だからこそ為し得たことといえるだろう。
APWの次にどういう「場所」をスンウェイ氏が今後生み出していくのか、非常に楽しみである。(THE KL)
【店舗名】 | APW(エーピーダビュリュー) |
【住所】 | 29 Jalan Riong, 59100 Kuala Lumpur, Malaysia |
【電話番号】 | 6 03 2282 3233 |
【Facebook】 | https://www.facebook.com/apwbangsar/ |
※掲載内容は2018年7月時点の情報です。